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バイトがあって今がある ロックアーティスト 中島卓偉さん

2023年2月27日 公開

「本物」に触れて「本物」の自分になれるのがバイトじゃないかな。

ロックシンガーのみならず、作詞家・作曲家としてハロー!プロジェクト所属アーティストへ楽曲を提供していることでも知られる中島卓偉(たくい)さん。中学校卒業後に上京し、40社以上ものバイトを経験してきたという彼に、その思い出を語ってもらった。

ビートルズとパンクにあこがれ、15歳で上京。

グリーンのジャケットにレザーブーツ、金髪のマッシュヘアといういでたちで登場した卓偉さん。いかにもロックシンガーというファッションだが、サングラスの奥には紳士的で優しいまなざしが輝いて見える。
卓偉さんのご出身は福岡県古賀市。父が大の音楽好きで、リビングには常にジャズやソウル、ファンクやポップスが流れていたという。なかでも幼い卓偉さんのお気に入りがビートルズの楽曲だった。
「分かりやすいメロディや印象に残るフレーズが耳にも残ったんでしょうね。気付けば兄と一緒に口ずさんでました。5、6歳のころだったかな?サンタさんに彼らのレコードをお願いした思い出も残ってます」
そんな卓偉さんがミュージシャンへの夢を抱くのは、もはや必然だった。中学校に入るとエレキギターを買い、自ら作詞や作曲にも挑戦していったという。
「当時、自分がハマっていたのはセックス・ピストルズやザ・クラッシュといったイギリスのパンクバンド。思春期ってのもあったけど、みんなと同じ制服を着て同じ勉強をしなきゃいけないってのが、自分にはどうしても理解できなかった。だから同じようにとがって、世間から弾き出されていたパンクの精神に共感したんでしょうね」
「自分は音楽で食べていく」そう決意した卓偉さんだったが、ロック好きや楽器を弾ける友人が周囲には多くいなかった。
「人と演奏をした経験が少ないし、ギターも独学で弾いていただけなので譜面もろくに読めない。だから中学校を出たらきちんと音楽を学ぶために専門学校へ行き、そこで仲間を見つけてバンドをやろうと思ったんです。家が裕福じゃなかったので、学費や生活費は自分で稼ぐと親に約束して」
中学校を卒業した1994年の春、15歳の卓偉さんはたった一人で東京駅に降り立った。所持品はエレキギターとわずかばかりのお金だけだった。

40社以上のバイトで見つけた、意外な才能。

上京後は生活費と学費を稼ぐため、すぐにバイトをしなければならなかった卓偉さん。求人誌をめくり見つけたのが、住み込みで働ける新聞配達のアルバイトだった。
「寮だと案内されたのは、三畳一間に風呂トイレ共同の古いアパート(笑)。でも家賃が掛かりませんし、新聞配達なら学校に行く前に働けるので、文句を言ってはいられませんでした」
その後は専門学校でバンドを結成し、ライブも積極的に行うなど、アーティストとしての道を着実に歩み始めた卓偉さん。しかし専門学校を卒業した途端に、奨学金の返済という名の借金が重くのしかかってきたという。
「音楽活動の合間を縫って、空いている時間はとにかくバイトを詰め込みましたね。カラオケ屋の店員に、駅前のティッシュ配り、高層ビルの窓拭きや土木工事の作業員。髪型が金髪だったので『髪型自由』と書かれた求人なら、どんな所でも応募して、全部で9つまで掛け持ちしたことがありますよ(笑)」
中でも、卓偉さんが意外な才能を発揮したのが清掃のアルバイト。ロックやパンクのイメージからはとても想像が付かないが…。
「幼いころから祖母に『部屋の乱れは心の乱れ』とか『九州男児たるもの、掃除ができて一人前』って格言を聞かされてきたもんだから、人一倍掃除は得意でした(笑)」
更に卓偉さんが見いだしたのが、自身が愛してきたイギリスのミュージシャン達にも通じる価値観だった。
「イギリスって、古くからの文化や伝統をとても大切にしている国でね。ビートルズみたいな売れっ子でも、上着は祖父の代から受け継いでいる服を自分で直しながら着ている。建物や部屋も同じで、磨けば輝き続けるし、時に新品以上の味わいが出たりするんだって知りましたね」

「本物」の価値を知ってはじめて、「本物」の価値を届けられる。

苦労の甲斐あって、18歳で奨学金を全額返済したという卓偉さん。念願のデビューを果たしてからも、23歳までバイトを続けていたそうだ。その数、なんと40社以上。そんな卓偉さんにバイトの価値を聞くと、次のように返してくれた。
「学校では教えてくれない『本物』を知れるってことじゃないですかね。僕はいろんなアルバイトをしたから、台所掃除にはどの石けんが良いとか、良い鮭の見分け方とか全部分かるんです。高円寺の古着屋でも働いてたから価値ある服も分かりますしね」
そう言うと、おもむろに足を上げて靴を眺め始めた。
「このブーツだって20歳のころに奮発して買って、何度も底を張り替えながら履いてるんです。そこに掛かってるジャケットも、中3の時にジョー・ストラマーにあこがれて買って。それからギターも愛車のローバー・ミニもビンテージと呼べるぐらい古い。でも『本物』だから手入れさえ重ねれば使っていける。ただ、車にかぎってはしょっちゅう壊れますけどね(笑)」
デビューから24年。自ら第一線で活躍するだけでなく、人気アーティストへの楽曲提供や自らが代表である事務所の設立までこなしてきた。出合った人物のなかには「本物だ」と言えるような人物も多くいたと振り返る。
「プロデューサーでも、アーティストでも、活躍している人に共通しているのは、みんな若いころは苦労してきたってこと。バイトや苦しい経験を経て『本物』の価値を知ってきたからこそ、『本物』の仕事を届けられる。そう信じているんです」
そう語る卓偉さんの真っ直ぐな目は、たしかに「本物」を感じさせてくれる輝きを放っていた。

中島卓偉さんの思い出バイト

ハウスクリーニング
4、5人で一週間もかかるような大豪邸の清掃をまかされたこともありました。そこの高級オーディオでマイルス・デイビスのレコードを聴かせてもらったのも良い思い出です(笑)
日本料理屋の皿洗い
バイト初日、電車の遅れで3分遅刻したら、扉を開けた瞬間店主に「出て行け!」と怒鳴られて働くことなく退職。この出来事以来、どんな時でも30分前に現場に着くように心掛けています

プロフィール

中島卓偉
1978年生まれ、福岡県出身のロックアーティスト、ギタリスト、作曲家、編曲家。1994年に上京しバンドを結成。1999年ソロとしてTAKUI名義のシングル「トライアングル」でデビュー。ライブを主軸に音楽活動を展開するのみならず、作曲や編曲にも取り組み、安倍なつみや真野恵里菜、アンジュルム、つんく♂らに楽曲を提供。2022年4月には株式会社FOR ROOTSを立ち上げ、代表取締役に就任する。
オフィシャルサイトhttp://takui.com/

インフォメーション

New Album
「BIG SUNSHINE」

独立後初となる7年ぶりのオリジナルアルバム「BIG SUNSHINE」(16曲収録)発売中!3月からは同アルバムリリース記念となる6か所12公演の全国ツアー〈中島卓偉 LIVE 2023 VIVA LA BIG SUNSHINE TOUR〉を開催。現在チケット好評発売中。

バイトがあって今がある

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